セミナー

【幸せ作りのお手伝い】2024年6月5日号No.324

こんにちは。

経営システム研究所のメルマガ担当 渡邊 文子です。
梅雨目前です。晴れた日の空の青さは目に沁みます。

本格的な雨の続く季節の前に、模様替えを済ませ雨の日を楽しむ準備をしたいと思います。

皆さんは、雨の日はどうされていますか?掃除をしても気分は晴れず、洗濯物は乾かないし、
外出も億劫になります。とは言え、ダラダラは一層気持ちを落としてしまいます。

そこで、普段は行かない映画館での映画鑑賞。
美術館巡り、最近の美術館はカフェなどもあって、ゆったりと時間を過ごせます。
博物館もなかなか行かないので、こんな時こそ行ってみてはどうでしょう。
久々にボーリングや、ビリヤード、家族でも友人とでも楽しめそうです。
  
神戸では須磨シーワールドがオープンし、にぎわっています。
濡れついでに言うと「オルカショー」で水被ってもこの季節なら、楽しく思えるのでは?

今から雨の日楽しみ方候補を幾つか用意してはいかがでしょうか?
  
さて、今回冨田からは、
『私の変わった趣味(古代史年表作りと神社巡り)』シリーズ
【NO.39出雲族の国譲り~神武東征までの歴史(1】をお送りさせて頂きます。

そして鈴木より【週休三日制~第二の松下幸之助は現れるのか~】をお届けします。
是非ご覧ください。

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  一度ご覧ください。

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┃ ┃『私の変わった趣味(古代史年表作りと神社巡り)』シリーズ  
┃ ┃ 【NO..39出雲族の国譲り~神武東征までの歴史(1】
┃ ┃
┃ ┃                           冨田 茂
┗━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
今回から、国譲り~神武天皇・欠史八代~10崇神天皇の話を始めたいと思います。
古い時代の事なので、中国大陸や朝鮮半島の資料、遺跡調査結果、古気象学
同位炭素測定法、・遺骨などの遺伝子解析・静水域湖底地層調査などの、
最新科学分析技法の成果なども用いて、その実像に近づいてまいりたいと思います。
今回は、出雲族の国譲りから神武東征までの話をさせていただきます。

■AD100~AD180頃の話■
出雲族から天孫族への国譲りは2回あって、博多の那珂川中流域で、
AD100頃に発生した国譲りと、AD175年頃に奈良盆地で発生した国譲りがあります。
出雲国では国譲りは無かったと考えられます。

<AD100頃:博多の那珂川中流域で、出雲族が天孫族に追い出された国譲り>
有明海沿岸~筑後川沿いに入っていた天孫族が、農地を求めて博多平野に入り、
出雲族の耕地を奪い、出雲族を追い出していきます。
那珂川中流域での“国譲り”の結果、出雲族は出雲平野西部の、現在の出雲市周辺に新天地を求めて移動します。

元々島根半島と本州の間には海が入っていたのですが、BC2000とBC3500頃に石見国の三瓶山が
大噴火し、火山灰降灰や噴出土石物が神戸川などのよって運ばれ、
それに加えて斐伊川の堆積物などもあり、出雲平野が形成されていきました。
ここでは弥生時代から、本格的な稲作水田耕作が始まっていましたが、国譲りのあったAD100頃には、
その大部分の土地が、まだ空いていたと考えられます。
出雲平野に広大な未開発地があることを、博多平野の出雲族は知っていました。
それで、多少の戦いはあったでしょうが、鉄器を持つ天孫族に対して、比較的あっさりと
那珂川沿いの農耕地を渡して、出雲平野に向けて出て行きました。

また、天孫族の支族の中にも、天津日子根命(アマツヒコネ)や、天穂日命(アメノホヒ)を先祖とする、
少彦名命(スクナヒコナ=天日鷲命(アメノヒワシ)=三島湟咋(ミシマミゾクイ))や
天御影アメノミカケ命=天目一箇アメノメイッコ命=天津麻羅命(アマツマラノミコト)などの分枝の一族も、
新天地を求めて出雲平野に入り、出雲族と協力して、出雲平野を開発しました。

<AD120頃~:出雲の神去り>
AD120頃からAD180頃をピークとする地球規模での寒冷化が始まり、日本でも異常気象が
始まります。日本海側では気温が低下し作物が採れず、人々は温暖な土地を求めて南下し始めます。
AD120代には、天孫族の少彦名命=三島溝咋連(ミゾクイノムラジ)は、淀川沿いの三島江に入り、
淀川右岸を中心に水田を開発し、茨木川沿いや安威川沿いの山間部では鉱物資源開発を行い、
淀川沿いで武器や農具を鍛冶加工していました。

また、現在の茨木市から高槻市にかけては、南北8Km×東西2kmもある淀川の巨大な入り江
(三島江)があり、その少し上流には、亀岡から流れてくる桂川・琵琶湖から流れてくる
宇治川・伊勢から流れてくる木津川の合流点である水無瀬があり、三島江の淀川対岸(枚方市)には
奈良の生駒から流れてくる天の川が流れ込んでいました。
そして、大阪湾は現在の崇禅寺と豊津の間を通って、三島江のすぐ南まで入り込み、
生駒山に沿って八尾市までが入海となっていました。この水上物流のハブセンターのような三島江に
入って、交易王国も作っていたのが少彦名命(=溝咋連(ミゾクイノムラジ)です。

大国主Ⅱも、出雲で協力し合った少彦名命を追うように南下し、少彦名命がいる淀川沿いの
三島江から、20kmほど桂川の上流にある亀岡盆地の水(丹波湖)を、保津峡を開削して水抜きを
おこない、広大な耕地を開発します。
この頃、AD128の年間降雨量が3倍になった年の豪雨によって、淀川沿岸の摂津三島の耕作地は、
大きな被害を受けた結果、少彦名は奈良盆地の開発を思い立ちます。

続きは次回325号でお楽しみ下さい‥‥乞うご期待

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┃ ┃【週休三日制 ~ 第二の松下幸之助は現れるのか】
┃ ┃
┃ ┃                          鈴木 千春
┗━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
みなさんは、現代の日本において一般的となっている週休二日制が、いつどのように導入されたかを
ご存知でしょうか。
そのきっかけは、松下電器(現パナソニック)の創設者である松下幸之助の英断にあります。
1960年1月、松下幸之助は松下電器の経営方針発表会で「5年後に週休2日制を実施する」と
発表しました。その理由は、米国の企業を視察した松下幸之助はその生産性の高さに驚き、
我が社が国際競争に打ち勝っていくには仕事の能率を高めなければならず、能率が上がれば
今より心身ともに疲れが出る、また産業人としての教養を身につける時間が必要である為、
休日を増やさなければいけないと考えたからです。

当時、日本の大企業は週休1日制であるところがほどんどであり、さらに
「今まで6日でやっていた仕事を給与はそのままに5日で済ませるのは可能なのか、労働強化に
なりかねない」との懸念から労働組合から反対があったそうです。
しかし次第に社員の 理解が得られ、1965年4月、松下電器で“1日休養、1日教養”のスローガンのもと
完全週休二日制が導入されました。その後、松下電器は技術・利益共に大きく成長していき、
次第に多くの国内企業や行政機関で週休2日制が採用されていきました。

それから約60年経過した現代の日本ですが、大多数の企業が週休二日制のままです。
一方週休三日もしくは四日制を採用している企業もありますが、それらの導入形態は
1日の労働時間と給与水準の観点から、
労働時間増加・給与減少
労働時間増加・給与維持
労働時間維持・給与減少
労働時間維持・給与維持
という4つのモデルに大きく分けられます。
労働者にとっては労働時間維持・給与維持モデルが最も理想的ですが、
現状は、ほとんどの企業で採用されていません。もちろん週休三日制によってメリットが生じるか
どうかは業種や就業形態によりますので、この4つのモデルが必ず最適というわけではないでしょう。

そこで、この先第二の松下幸之助が現れ、1日の労働時間維持・給与維持モデルの週休三日制が
一般化される未来が訪れるか否か予想してみました。
仮にある企業が技術革新の恩恵により、従来の業務を5分の4の稼働日で終えれるほど
生産性を向上できたとします。
そうすると社員に対して従来の給与のまま休日を1日増やすことができますね。
しかし企業は他社との競争を考慮し、社員を週休三日にするより生産性向上で得られたマージンで、
商品の価格を下げるしょう。余った時間は開発、新事業開拓、社内交流etc…と
企業側では考えそうです。
私たちも同じものが価格が下がれば安いほうを買いますよね。消費者も無意識のうちに
競争社会に加担し、本来の休暇を増やす事より売り上げ拡大にのっかって、本末転倒もあり得る。
難しい!!

今後の日本で週休三日制が浸透する可能性としては、導入した企業が著しい発展を遂げ
成功例が生まれる、または少子化により超売り手市場となりワークライフバランスを重視したい
労働者の要望に企業が応える、もしくは週休三日制を導入した企業へ政府が助成金を出すといった
介入をすれば、実現する日が来るかもしれません。

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