こんにちは。
経営システム研究所のメルマガ担当 渡邊 文子です。
夏に蔓延しやすい疫病退治の為に始まったと言われる祇園祭で、夏真っ盛17日は
山鉾巡行(前祭:さきまつり)です。この祇園祭は、7月1日から31日まで、
1か月にわたってさまざまな神事・行事をほぼ毎日行われるそうです。
起源は、(869年)、京の都をはじめ全国に疫病が流行し、当時の国の数(66ヶ国)にちなんで、
66本の矛を立て、祇園社の神様をお祀りし、神輿を出して、悪疫退散を祈った事が起こりですが、
今のような定型の鉾以外や、毎年、趣向を決めて出る鉾がそろいだしたのが、室町時代だそうです。
祭りに使う道具も飾りも、ならわしも継承し、今の私達を魅了し信仰心を呼びおこす、
世界でも数少ないことのようです。
そういえば天神祭りも平安後期の始まっています。
平安の頃の夏は現代の様な猛暑だったとのこと、だから建物は風通し良さそうで、
服装はあまり締まりがきつくなく、寒い時に重ねる事で補う形だったのでは?
今より不衛生で、暑く疫病が流行りやすい上、大雨による被害も多い上大きく、
神に祈りを捧げる祇園祭、天神祭等が始まったのですね。
今朝早く私も猛暑を乗り切れるようにと、夏祭の「茅の輪くぐり」をしてきました。
半年間の穢れを落とし心身を清め、無事に夏を越して残りの半年も健康に過ごせるように願うと
良いようです。是非お試しあれ。
さて、今回冨田からは、
『私の変わった趣味(古代史年表作りと神社巡り)』シリーズ
【NO.39出雲族の国譲り~神武東征までの歴史(AD100頃~AD180頃)】4)
をお送りさせて頂きます。
そして加藤より 【ことわざの真偽を確かめてみよう2「急がば回れ」】を届けします。
是非ご覧ください。
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一度ご覧ください。
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┃ ┃『私の変わった趣味(古代史年表作りと神社巡り)』シリーズ
┃ ┃ 【NO.39出雲族の国譲り~神武東征までの歴史(4】
┃ ┃
┃ ┃ 冨田 茂
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前回の続き国譲り~神武天皇・欠史八代~10崇神天皇の話を4回目です。
AD180をピークとする厳しい寒冷化によって、大陸に面している北部九州一帯でも食料が不足します。
AD174~175 神武は豊かな奈良盆地を目指して、九州北部から東征を開始し、真っすぐ
奈良盆地に向かっています。神武は、出発する時から、亀岡に大国主Ⅱが、
奈良盆地の三輪には大物主命(事代主・大山咋神(オオヤマクイ)が、三島江には天孫族の
少彦名命がいることを知っていたと考えられます。
神武の誤算は、生駒山西麓の孔舎衙(クサエ)で、防衛隊の出雲族の建御名方(タケミナカタ)命=
長髄彦(ナガスネヒコ)と遭遇し、戦いとなったことです。
孔舎衙(クサエ)の戦いで大敗した神武軍は、大阪湾を南下して、紀ノ川に入り、
紀ノ川を遡って吉野川から、宇陀を経由して進軍し、奈良盆地南東部の桜井市の外山(トビ)に入り、
天孫族の饒速日命・可美真手命(ウマシマデノミコト)を味方に引き入れて、勝利します。
前年、孔舎衙(クサエ)で神武軍を撃破し、大国主Ⅱの次男の建御名方(タケミナカタ)命=
長髄彦(ナガスネヒコ(三輪の大物主命の弟)は、敗走して伊賀を通り、伊勢湾沿いを東進し、
天竜川を遡って諏訪盆地に入ります。
今回「古代史年表作りと神社巡りNO.39」は、出雲族の国譲りから神武東征までの話をさせて
いただきました。
また新たなテーマでお届けいたしますので、こうご期待!
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┃ ┃【ことわざの真偽を確かめてみよう2「急がば回れ」】
┃ ┃
┃ ┃ 加藤 涼
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「ことわざとは、長年の経験や知恵から生まれた短い言葉で、一般的な真理や教訓を
表現したものです。通常は風刺的または比喩的な表現を用いて、人々に知恵を伝えたり
行動を促したりします。」―ChatGPTより引用
「急がば回れ」ということわざがあります。早く着こうと思うなら、危険な近道より遠くても
安全確実な方法を取った方が速く目的を達成することが出来るというたとえです。
このことわざの語源は、室町時代に制作された歌より来ています。琵琶湖が舞台となっており、
京都へ向かうには渡し船から琵琶湖を渡った方が近道ですが、当時は危険な航路であったため、
陸路を行った方が安全に渡れるという意味合いです。
昔と今では若干意味合いが違いますが、このことわざは現代でも信憑性はあるのでしょうか?
日本では、渋滞学という学問が研究されています。その中で、車間距離40mを保てるかどうかが
渋滞になるラインだとされています。
それ以上短くなると速度が落ち、後ろの車に増幅しながら速度の低下が伝わってしまい、
結果、大量の車を止めてしまう大渋滞を引き起こしてしまいます。
急いで車間を詰めて走るより、全員で車間距離を確保して走る方が結果として早く目的地に
着いてしまうという事ですね。
今より圧倒的に命を落とす危険性が高い昔の時代の人も、「遠回りした方が安全なので、
結果として近道せずとも目的は達成される」といった意味合いで歌を詠んだのだと思われます。
私達が生きている現代は、まさに「時は金なり」を体現している時代ですが急いでいる時こそ、
「急がば回れ」という言葉を思い出してみてはいかがでしょうか。