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【幸せ作りのお手伝い】2024年7月3日号No.326

こんにちは。

経営システム研究所のメルマガ担当 渡邊 文子です。
姪っ子がアパレル販売のアルバイトをしているのですが、シフトを組んで行っているようです。
自分自身がアルバイトできる時間があっても、上手くはまらないと、アルバイトにならず、
お小遣い稼ぎにならないと嘆いていました。学生アルバイターは辛いそうです。

私の時代は、空いている時間目いっぱいにアルバイトをして、大学の授業の合間に挟んで、
行ってる人もいました。
クラブに入っている人は、クラブごとアルバイト先が決まっているとこもありました。
まだまだ人海戦術の時代で、必要な人手は、どんな仕事も振り与えれる時代だったように思います。

それでも賃金は低いので、2つくらい掛け持ちは当たり前で、新聞配達、牛乳配達、酒屋の配達、等は
ベースにされている人も多かったです。(いまや希少職業)
 
人が足らないところは、若いアルバイトで・・・ではなく、置き換えにロボットもしくは、
仕事の仕組みが変わり学生アルバイターは不要となるのです。

私は、いい時代にアルバイトをしていたのだと思います。
当時互いの学校の情報交換や他校のイベントの企画に参加したりして、楽しかった記憶があります。
そして未だに当時の仲間とお付き合いをしています。

ミニ模擬社会の仕組み実習です。今も良い思い出と共に役に立っています。
 
さて、今回冨田からは、『私の変わった趣味(古代史年表作りと神社巡り)』シリーズ
【NO.39出雲族の国譲り~神武東征までの歴史(AD100頃~AD180頃)】3)をお送りさせて頂きます。

そして株式会社クリエイティブセールスフォースの石井氏より【仕事の本質】をお届けします。
是非ご覧ください。
 
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一度ご覧ください。

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┃ ┃『私の変わった趣味(古代史年表作りと神社巡り)』シリーズ  
┃ ┃ 【NO.39出雲族の国譲り~神武東征までの歴史(3】
┃ ┃
┃ ┃                           冨田 茂
┗━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
前回の続き国譲り~神武天皇・欠史八代~10崇神天皇の話を3回目です。
  
AD157 斯蘆国(シロコク)阿達羅(アダラ)王の王子の延烏郎(ヨンオラン)と妃の細烏女(セオニョ)が
倭国に移動。延烏郎(ヨンオラン)は倭国で国王となったと伝わります。
(AD180頃を頂点とする寒冷化が始まっていたため、朝鮮半島から脱出した?)(三国遺事)    

AD158~170頃、斯蘆国(シロコク)から天日槍アメノヒボコが福岡県香春(カワラ)町に渡来し、
香春岳の銅や鉄などの鉱物資源を採掘します。

※天日槍(アメノヒボコ)の素性
天活玉命(アメノイクタマノミコト=天底立命=天照大御神)の3人の息子は、
天忍穂耳命(アメノオシホミミ)・天穂日命(アメノホヒ)・天津日子根命(アマツヒコネ)の3人であり、
AD50年頃に生まれます。その3人の息子の内、三男の天津日子根命(アマツヒコネ=天若日子=天太玉命)が、
朝鮮半島南部に行っていたとの伝承があります。

この人が朝鮮半島に残してきた子孫が天日槍(アメノヒボコ)であるとも言われています。
 
天忍穂耳命(アメノオシホミミ)の息子は、AD80年頃に生まれた、天火明命(アメノホアカリ)と
邇邇芸命(ニニギト)の2人であり、天火明命(アメノホアカリ)は、高天原王統として九州北部に君臨し、邇邇芸命(ニニギ)の子孫は、
AD110頃に生まれた彦火火出見命(ヒコホホデミ:火遠理命・山幸彦)→AD140年頃に生まれた神武と、代を重ねていきます。
神武は高天原王統からは、外れた支族の人であると言えます。

続きは次回327号でお楽しみ下さい‥‥乞うご期待

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┃ ┃【仕事の本質】
┃ ┃
┃ ┃                      CSF 石井 新吾
┗━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
日本を変えていく為には、きれい事になるかもしれませんが、一人一人が仕事に精を出すことが
第一歩になると考えます。
これまでにも「仕事のやりがい」については、成果と評価や仲間意識などで本雑感でも
取り上げましたが、今回は、原点に返って仕事を考えてみます。

仕事には必ず相手がいます。仕事の本質とは「相手に何を提供するか?」を理解することだと
思います。それを理解する近道は「相手に聞く」ことです。
前任者からの引き継ぎや、会社の規定などで仕事に内容は定められていると思いますが、
自分の仕事として消化する為には、相手に求められているものが何かを聞くことです。
多くの場合、仕事は、次の仕事に繋がっていますので、次の仕事への影響も含めて聞くことで、
仕事で提供すべき物の本質が見えてきます。

小生の昔の経験をもとに、少し、具体的に書いてみます。小生は、長年、コンピュータの営業をして
おりました。当時は、コンピュータの性能で購入が決定することもあり、提案書には製品カタログの
ように性能諸元だけを書くことが多かったものです。
又、当時のコンピュータは設置するための専用の部屋や電源も必要でしたので、契約後に
設置レイアウト平面図や電源仕様と電源系統図も添えて提出しておりました。
そこで、提案に際して工夫したことは、見積書にこれらの図面を合わせて提出しました。
この背景は、お客様は、提案や見積を取得して購入稟議を作成しますので、これらの図面を提出する
ことで、その仕事を助けることになると考えました。
今でも覚えていることは、或る先輩が、紙で機器のミニチュアを作成して提案し、見事、受注したと
いうことです。お客様は、このミニチュアを使って経営会議でプレゼンをしたそうです。
提案という仕事と稟議作成という仕事を合体させて考えた結果でした。

尚、当時のコンピュータビジネスでは、業務を遂行する為のプログラム作成は、基本的に納入メーカ
SEの仕事で、その開発費もコンピュータの価格に含まれておりました。
その後、プログラム開発費は独立して見積に計上されることになり、
経費削減の考え方から、お客様がプログラム作成を行うことも一般化していきました。
更なる経費削減を目指して、プログラム作成を行わない業務パッケージも出現しました。
その頃から、小生は、提案書には、必ず、お客様の業務フローを入れることにしました。
それは、コンピュータビジネスが、業務効率化を直視する時代に変わり、
稟議作成においても業務効率化を中心とした導入効果を論じる時代に入ったと考えたからです。
小生が、ITシステム導入は「業務ありき」と、常々言っております所以です。

以上は、お客様を相手にした仕事でしたが、社内業務の場合も同様です。
社内業務の場合は、仕事の中身も伝票処理・日報作成・予実管理など様々です。
その一つ一つで相手も異なることが想定されますので、聞く相手も増えると思います。
「仕事の本質は、仕事の相手に聞く」を今でも実践しています。

CSFのHP,ブログをご案内しますので是非ご覧いただければ幸いです。
http://csf-ishii.boy.jp/

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